カテゴリー: 日々の出来事や趣味の事など

60歳になって

お久しぶりの投稿になります。元気です。
今年5月で60歳という大きな節目の年齢になりました。やはり60になった途端ではないですが肉体の衰えを感じるようになりましたねぇ
50肩がいつまでも治らない。治ったと思ったらまた始まったり。。。そして痛風を初めて起こしました?以前にも同じような症状が出たのですが気のせいにしていたのと二日ほどで治ったから痛風だと思わずにいたのですが今回一週間ほどの痛みがあって医療従事者の方から「それ痛風やで」と言われて知る事になりました(苦笑)普段の生活を気にしなくてはならなくなってしまったのです。(酒はやめられないですが)
それと大きく変わったのが視力。車の免許証の更新にてまったく見えなかったのです!?5年前には見えてたのが。。。
監視官の人から「視力が落ちてますねぇ免許証には要メガネ等がはいりますよ」と言われたのです。
そして目の病気があるといけないから眼科に行って診てもらったのですが、眼圧が高い程度で何も病気は見当たらない事でホッとしたのですが、メガネを作る事になったのです。

親が亡くなってから、子供も巣立って夫婦二人の生活となり、自分勝手な生活というか、好きに生きていこうと自分のできる範囲で生活するようになりました。
3ヶ月に1回程度の一泊での国内旅行。好きな服を着て暮らす。極力無理はしない(できなくなっているのが現実かも)
そんな事でメガネを作りに神戸にあるグラスファクトリーへ。
この店はできた当初から気になっている店で、デザイナーフレイムも多数取り扱っており、好きなアランミクリのフレームがあるからです。
元々視力が良くてメガネとは無縁で10年前から老眼なので安物の老眼鏡を複数持っていたのですが、どうやら老眼だけでなく何やら視力の違和感もあったので、こちらでメガネを作る事に。
取扱レンズが、カールツァイスという事で検査もドイツ方式で行います。我が家の次男がこちらでメガネを作ったのでその辺りは理解しておりました。
さてさて小一時間ほどの診断も終わってフレーム選びへと。店の方も「これがお似合いですよ」というので見てみると、やはりのアランミクリ。即決で決定した次第です。

これからは好きな服を着て、好きな持ち物で、自分の体の一部となるモノに関してはそんなのに囲まれてこれからの人生いきたいとおもってます。
ブランド好き?といわれればそれまでですが、好きなものを身に纏う事でテンションも上がるし、健康上もいいものだと思ってます。
ルパン3世のアニメの中で次元大介が困難に遭うと「わくわくしてきたぜ」というセリフがあります。
もしこれから困難にあった場合はマイナス思考でなく「わくわくしてきたぜ」でやりすごします
ソンナ60からの人生を歩んでいきたいと!

センスとは

現在淡路島では島外の業者が宿泊施設に飲食業にはたまた最近では通信制の高校まで出来て大賑わいとなっおります。
個人でのカフェとか民泊とかはたまたヨガなどもたくさん出来ており、週末になると大賑わいになっております。

さて、私も仕事柄色んなところに出向いておりますが、それぞれに個性が出ておりみているだけでも楽しいものです。
皆さん考えてコンセプトとデザインにそれぞれの趣向を凝らしているのだなぁと感心するばかり(中には?もありますが)
タイトルのセンスなのですが、私はビジネスをする上でセンスは大事だと思っています。それぞれ人の趣味もありますが「ぇ?」と思うようなセンスのお店なり人はやはりそれだけのもので魅力もないし、気分を悪くすることさえありますねぇ
和風、洋風、モンゴリアン、中華、大正モダン、昭和テイスト、フューチャーレトロに南国風…。等、多くのスタイルの店が増えております。
そんなコンセプトの店はディズニーではないですがワクワク感なり、楽しさなりの気持ちよさを感じるものです。

昔の話ですが、洋菓子店がありました。田舎なので正月には餅なども販売したり、田舎ならではの営業でした。
営業自体は、それでも全然いいのですが、そこのマスター(オーナー兼職人)はいつももジャージ姿なのです。夏になるとジャージの半ズボンとかで当然上着もTシャツだったりするわけなんです。
洋菓子店の職人姿の白衣は着ていましたがしたがジャージで白のゴム長靴でして、それで接客まで行っていました。
そんな店舗で外装は白色でアールデコ調?というのか洋館作りの雰囲気だったんです。
店舗の形とマスターのジャージ姿。いつみても私は?でしてお味の方も「他の店で食べたことあるんかな」というお味でした。
案の定親の代から受け継いだお店でしたが多分20年ぐらいで廃業したと思われます。

仕事を好きでやっているんだなぁと思うお店はオーナーの方もこだわりがあってやはりセンスが光っているお店が好きですねぇ
いつも行くバーは店内はバリ風で60年代ソウルミュージックが流れて、ご夫婦で営むスタイルはアロハシャツ・
ソウルミュージックに関しては奥が深くアロハシャツの所有する数も半端なし。心地いいソウルミュージックで飲むお酒は最高です。
私も自分でセンスが有るとは思いませんが、接客業をしている限り身嗜みには心かけておるつもりなのですがねぇ
自営業者はともかくサラリーマンの方でもキラリと光るセンスの方を見ると仕事できる人なんだなぁと思います(知らんけど)

2023GWにてあれこれ

あっと言うまに五月に入り現在ゴールデンウイーク真っ最中の5月3日です
昨年父親が亡くなり、その後の仕事の方針をあれこれと模索していました。
昨今の物価高、資材高騰により値上げを余儀されなくなってしまい、それに伴いワンオペレーショナの仕事のために
一部は値上げをしましたが休みを取ることにより現状を維持していく形態にいたしました
日曜祝日休みで土曜日と月曜日は休みの場合があり、また営業時間を午前9時から午後5時までと。
周りでも営業時間の短縮等で維持しているお店もチラホラと見受けられるようになりましたね

2月だったか、3月に3年ほど前から近所にキャンプ場ができており、地元もだんだんと変わりつつあるなぁと思った矢先に
経営者の社長から仕事のオファーがありました。
先ほども書いた通り、ワンオペレーションなので思い通りに動けないのでお断りをしたのですが、社長から何と。とお言葉をいただき
これも何かの縁かなと引き受けることになりました。
日にちが経ってから社長が直々に我が家へ訪れていただき、話をすることになったのですが、ほぼ同年代で趣味等も似ており、また社長の人柄も非常に良かったと言うより、素晴らしい人だなあと感銘した次第です。
それから現在まで順調に仕事を こなしておりますが、今回このような人と出会えたことの不思議さを感じます。

人との出会いは運気が上がっていることらしいと何かで読みました。また別れもそうです。新しい次元へと導いてくれていることなのだそうです。
歳を重ねると兄弟のような付き合いの友人もいつの間にか疎遠になったり、しばらく会わなくてもたまーに会う友達だったり。
親の別れも同じ。次の次元、ステップをしているものだと感じました。

今年は、3年ぶりの児島での繊維祭りが開催されて4月30日に行ってきました。
今回は、ここ数年買い物をしているTCBジーンズさんが新しいデニムを発表でサイジングの為にお伺いして色々と話をしてきました。
ずっと思うのですが、ここの社長さんとスタッフさんは気持ちのいい接客とデニムの熱い想い。
それと素晴らしい接客。
これからもどっぷりとハマっていきたいモノです(笑)

表へ出て、人と接して、話して。。。出会いによってこのコロナで腐りかけていた気分が何かしら明るい気分になり来年は60代に突入なので荒らしい何かを始めたいなぁと50代最後の一年を満喫します

2022暑かった夏

8/10に家族がコロナにかかり、当然86歳の父親も感染。

父親おは私より遅れて3日後ぐらいに熱が出て(37.4)それでも体が起きれなくなり意識もはっきりしない状態でした

なんとか車乗せて病院までPCR検査を受けて、家に帰っても車から降りれず、また寝たまま状態

それから8/23まで悪魔の日を過ごす事に。。。。

親父のコロナ明けすぐに高田クリニックのデイサービスに行く事になったのですが当然車椅子

この時はまだ少しの意識があり声も出せていたのですが、だんだんと声も出なくなり食欲も無くなっていく日々

食べ物は流動食で水分もとろみをつけなくては飲めない状態までに

病院からあまりにも腎臓の数値が悪くて余命宣告を受ける事に。

長くても後2週間と。

その後の血液検査で数値が少し改善されるも、それからは低血圧症を発症

起きておられる状態ができなく寝たままの状態に。

意識も朦朧、声も小さくなっていき、9/12にようやく特別老人介護施設のラガール入所が決まりました

以前は白寿園に入所届けにいったのですがあまりの数値の悪い子に入所拒否をされてしまったので

今回はどうなるかと思いましたが快くラガールは受けてくれる事に。

ただ病院の先生は、今日か明日にもなくならるかもしれないと言う言葉

けど今回の件で病院先生の言葉は信じられなくなり

姉と嫁との話し合いでラガール入所を選びました

あの悪魔のような10日間を乗り越えたからきっと親父もまた乗り越えてくれると信じてましたが、入所二日で永眠いたしました。

忘れは出来ない2022暑い夏でした。

コロナは甘く見ていてはいけません。ワクチンを打っていても打っていなくても、感染はします。
また親父の様に高齢の方が感染すると10日間(今は五日になりました)の隔離生活では非常に危険な状況になってしまいます。
早くコロナがなくなる生活がきます様に。

※ほぼ寝たきり状態だったのに亡くなる数日前に、意識がはっりしていて、自ら「写真撮って」と言ったので撮った写真です。
苦しかっただろうけど最後の笑顔を出してくれました。