日: 2026年1月6日

クリーニング店について(失われた30年)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします
更新が全然できてないのですが、やはり何か言いたいこととか私の今の気持ちとかを書き残そうと思って
年に一回は最低でも投稿していきたいと思います。
さてタイトル通りですが、我が家は親父からのクリーニング店を1958年より続けてきて廃業も考えましたが今に至っています。
サブタイトルの「失われた30年」これはクリーニング業界でなく、縫製業、建築業、その他職人が必要とされている業界では
馴染みの言葉ですね

(写真は岡山県児島。ここの地場産業を支えているのはデニムに魅了された若者たちが集まって新たな地場産業を受け継いでいます)

ちょうど阪神淡路大震災、バブル崩壊等から技術をより安い国に頼るようになってしまって日本での職人が育たなくなってしまった事です。
建築業界の友達からは「左官業の人が居らずに70代の人がメインやで」と聞いたりしました。
今の時代背景からは要らなくなった技術もあるかと思いますが、でもやはり残していかないと絶えてしまってしまってからは遅いというのもあるかと思うんです。
アパレル業界からは「ミシンが踏める人がいない」とか「もう日本の繊維業界はほとんどなくなってきている」と聞いてもいます。
(コーデュロイはもう一社だけとかもききました)

さてさて、我がクリーニング業界の話を少ししたいと思います。
今から40年少し前にコンピューター専門学校を出てから就職活動もせずにブラフラしていた時に親戚の叔父から
「家業を継げばええんちがうか?創業50年とかになったら老舗でかっこええやん」
という言葉に唆されてクリーニング業をついだわけです。。。
40年前はバブル真っ最中でブランドのスーツに高価な衣装を着るのが当然のような時代でした。
そのためかクリーニング業界も大手取次店が進出してきて駅周りには3.4件のクリーニング店が当たり前のようにできたわけです
大手取次店は価格競争に走り「カッターシャツ50円」といったようなことになっていったのです
うちのような家族経営の個人店はそりゃ大変で手仕上げで150円というような全く採算の合わないことをやってたわけです
けど需要の多さにバブルの時代を乗り越えましていきました
阪神淡路大震災からでしょうかね、人々の洋服に関する考えとユニクロが出たのと重なりクリーニング屋をあまり必要としない時代になっていったのです。

(未だにバカな事をやっているクリーニング業界。こんなんじゃ業界が発展せずに後継も出来ないのが伺えます)

現在、あれから30年失われた30年が過ぎました。我が地域でもクリーニング生業店(取次店でない)は半径10キロでは我が店だけになってしまったのです。
それで職人(クリーニング師免許取得者)が少なくなり業界が衰退化した現在いままた必要される時代が来ていました
それは、専門職人の必要性とシーツ等のリネンサービスの拡大があったからなのです。
至る所に宿泊施設が出来てそれを処理するのが出来なくなってコインランドリーで処理をしなくてはいけない状況となってしまいました
我が店でも一件の宿泊施設を受けていますがそれでもピーク時はほぼ1ヶ月休みなく働かなければならない状況になってしまいました
時代は巡ると言いますが、方向性が違うけど必要とされる仕事になっていたのですね。
今からの時代AIの発展が目まぐるしく進歩していく中、もし一生涯の仕事をするなら職人を目指すのもいいかなぁと思った2026年です

(当店のリネンサービスでのシーツ洗濯、粗乾きにさせてから乾燥機にかけます)


(手アイロンでジーンズのセルビッチ部分を抑えています)